茅ヶ崎、藤沢、平塚の教会。茅ヶ崎駅に一番近いプロテスタント教会、湘南恩寵教会です。朝礼拝ではローマ書の連続講解説教。夕礼拝(夕拝、夜の礼拝)では、初心者の方や、中高生の学びを意識して、「使徒信条」に沿って、聖書のおはなしをしています。入門者歓迎。

坂井牧師の「牧会通信」

毎週の週報に掲載されているミニコラムです。日々の生活や、教会の内外の皆様との交流の中で感じたことや、目指すべき教会像などなど、牧師の心にあることを皆さんにお伝えしています。

No.31 (2021年8月8日)

   今週末から夏休みをいただきますが、その合間に、東部中会青年会修養会(オンライン)の奉仕が14日(土)に入っています。東部中会に転入してから初めての講演奉仕で、若い皆さんとの交流を楽しみにしています。「それでもやっぱり集まろうよ」というタイトルにしました。「それでもやっぱり・・」には、「集まることに積極的意義が見いだせないかもしれないけど」という 含みがあります。これは、青年会の役員の方との対話から感じたものです。様々な教会のトラブル、高齢化により若い世代に負わされる過重な重荷、 人間関係のストレス・・。リモートになったことで、そういうストレスからある意味解放されたと感じている人も、少なくないかもしれません。そういう中で、今あらためて、「教会共同体における交わり」を重んじるに足るべきモチベーションを、どこに見出すことができるのか?大変な難題ですが、 とりあえず彼らと一緒に悩むことから始めてみようかと思います。

No.32 (2021年8月15日)

   先週は全国高校生キャンプ「サマーデイズ2021」が開催されました。キャンプと聞くと耳慣れない方には屋外でテントを張って泊まることと誤解されてしまいますが、修養会と同じです。信仰の開眼、あるいは成長のために合宿するようなイメージです。オンラインの開催で参加者は多くはありませんが、若い方々の熱気にあふれた素晴らしいキャンプをすることがゆるされました。私はサマーデイズの発足当時から関わって、今は実行委員長として若い方々の奉仕を見守っています。今回は、本来の会場である岐阜県恵那市の「雀のお宿キリスト教会館」に少数のスタッフと共に集まり、一緒に汗を流しました。近年は、大会常任書記長としての奉仕なども過重であるため、キャンプ奉仕はもう引退したら?とも言われるのですが、やめられない魅力があります。毎年、私自身が豊かな霊の糧をいただいているのです。

No.33 (2021年8月22日)

   コロナ禍の勢いは止まず、医療崩壊の危機が叫ばれています。かつての スペイン風邪と同じように、第四波・第五波に至ってから感染爆発が起こるという最悪のシナリオです。先週は、九州・中国を中心に大雨による甚大な被害もありました。毎年繰り返される大災害に、もはや記憶が追い付きません。そしてアフガニスタンでは、タリバーンの復権による大混乱が起こっています。20年に及ぶアメリカの軍事力投入は、一体何だったのかと問わざるを得ない、失望に満ちた結果となりました。そんな中、私たち家族は呑気に夏休みをいただきました。そういう私には、今苦悩と混沌の中にいる人たちのことを我がこととして祈るなどということは、できるわけもありません。それでも一人の牧師として、キリスト者として、とりなしの祈りを祈ります。罪の世界ゆえの悲惨に苦しむ、すべての虚ろな魂の救いのために。

No.34 (2021年8月29日)

   先週の月曜日、臨時小会を開催し、感染爆発状況下での教会の対応について協議しました。昨年5月と同様に、牧師長老以外は会堂に集わないようにすることも検討しましたが、礼拝参加者のワクチン接種率の高さや参加の意志の強さを考慮し、朝礼拝はこれまで同様に集うことに致しました(その他は、臨時小会報告を参照)。賛否両論あると思いますが、主日礼拝に共に集うということを重んじる私たちの教会の方針であるとご理解ください。これまでと比べても、確かに危機が身近に迫っていることを感じさせられ、大げさかもしれませんが、死ということを意識せずにはいられない思いで、この数日を過ごしています。だからこそ一回一回の礼拝を大切に、死を超える命の福音を皆さんと共にしっかりと聴き取りたいとの思いを強くされています。

No.35 (2021年9月5日)

   今年は長い夏期休暇をいただきまして、三回の主日礼拝の奉仕を長老方におゆだねしました。豊川・高橋両長老による御言葉の説き明かしにあずかることもゆるされ、大変恵み多いものでした。休暇とはいえ、遊んでいられるわけではなく、この間中高生のキャンプ(オンライン)の奉仕に明け暮れ、また9月7日の神学校での講演準備や、まじわり誌に掲載している連続講解説教についての連載を書き進めていました。私は本を読むのが好きではないのですが、自分の役割として実践神学(特に説教学)の学びを細々と継続しています。でも、説教についての考察を一生懸命しながらも、実際には説教奉仕をしていないというのは、魂にとってどうにも不健康で、研究に悪影響が出るように思います。誰よりも説教者自身が御言葉の喜びに与かるのだと、お二人の長老の奉仕からも感じました。私も久々の奉仕に心燃えています。

No.36 (2021年9月12日)

   先週火曜日の9月7日、神戸改革派神学校の2学期開講講演での奉仕がゆるされました。「説教者と会衆の緊張関係」というテーマで語りました。コロナ禍にも関わらずチャペルがいっぱいになるくらいの人が集まって、熱心に耳を傾けてくださいました。説教者と会衆(聴き手)の双方に求められる姿勢について教えてくれる、ウェストミンスター大教理問答159,160問という大切な霊的遺産の価値を再発見するという主旨の講演でした。皆さんには、ぜひ 大教理の153問から160問をよく学んでいただいて、礼拝説教についての理解を深めていただきたいと願っています。私は、説教者として20年のキャリアを積んできましたが、「説教というのは聴き手次第」だと実感しています。 聖書をよく知り、敬虔な信仰と感謝と敬意をもって、礼拝説教に真剣に耳を傾ける聴き手の存在が、説教者を深く励まし、その限界を引き上げるのです。

No.37 (2021年9月19日)

   「説教というのは聴き手次第」だと先週お伝えしました。語り手の修練は当然のこと、聴き手もまた「プロの聴き手」になるべく、ウェストミンスター 大教理問答160問に学びましょう。宮﨑彌男訳がとても分かりやすいです。

「問:説教される御言葉を聞く者には、何が求められていますか。 

答:説教される御言葉を聞く者には、次のことが求められています。すなわち、注意力と準備と祈りとをもってこれに傾聴すること、聞くことを聖書によって確かめること、信仰・愛・素直さ・気構えをもって真理を神の言葉として受け入れること、説教される御言葉を瞑想し、それをめぐって語り合うこと、説教される御言葉を心に蓄え、自分の生活の中で実を結ばせること。」

No.38 (2021年9月26日)

   

No.39 (2021年10月3日)

   

No.40 (2021年10月10日)